しっかりした子と天然な親
自慢話ではないが
私は「しっかりした子」として成長した。
それは、しっかり者の両親の元
しっかりと躾を守りすくすくと成長した。
というものではない。
我が家は誰もが認める天才的天然で
私が年少から低学年の話
カギを忘れて家を出た私。
帰って家の扉を見ると
「カギは○○にあります」
という母のメモ書きが貼ってあった…
”それ書いちゃうの⁈”
幼心に”カギは忘れてはいけないんだ”
と、深く心に刻んだ。

冬の真夜中
眠っている我が家
「ドスン、ドスン」
と外から音がした。
泥棒だ!と思った両親。
父はゴルフクラブを手に持ち
「誰かいるのか⁈警察呼ぶぞ!!」
父の後ろに母→姉→私と一列に並び
それはそれはもう~恐ろしかった(*_*;
その呼びかけにも「ドスン、ドスン」
という音は止まらない(;´Д`)
意を決した父は雨戸を開けた!!
その瞬間!!「ドスン、ドスン」と…
屋根から雪が落ちてた…
「バ・カ・ヤ・ロー」
幼い私は心から思った。
こんなに堂々と音を立て
しかも仕業がバレて何もしない悪人がいる??
とは思わなかったのか⁈
警察に出動要請をしなくてホントよかったよ…

忘れてしまったが
こんなエピソードは山ほどある。
おおらかな両親の元育った私は
いつしか「しっかり者」とならざる負えなく
隙のない早口な少女へと成長していった。
「しっかり者」は褒め言葉だと
信じて育った私だったが
思春期半ば過ぎから”疑いの念”が…
そして、そこから
「あれ?おかしいぞ?私の人生!!」
が始まった。
「しっかり」はモテない⁈
まったくもってモテない
若い世代にとって
こんなに悲しいことがあるだろうか( ;∀;)
そらそうだ。
「掃除をしない男子を注意する」
ハキハキ話すツッコミ女子へと成長していたからである。

私がハイティーンから20代の頃は
天然でゆる~く話す
愛されボケキャラの子がとにかくモテた。
今も昔もそれはあまり変わらないのかな?
フワフワしてるマシュマロみたいな女の子♡
がモテるし、それは女の私でもわかる!
すべてを受け入れてくれて
柔らかくて優しそうな感じがする。
私は「マシュマロ」とは似ても似つかない
硬く、なかなか噛めない
「スルメ」のような女性へと成長していった。
「天然」ならぬ「養殖」を頑張って装うも
そこは見抜かれていたのか⁈
モテる気配はなかった。

しっかり者、社会に出る
社会人となってからは「しっかり者」は
それなりに褒められることもあったが
上司との面談の際
「ぱー子さんはしっかりしてるけど
○○さんは大目に見てあげて欲しい」
なんて言われ方をすると
”だったらやらないほうがいいではないと!”
と悔しいとはまた違う
なんとも言えない感情が湧いた。

”間違えちゃいけない”
としっかりきっちりやる分
そうじゃない人を見るとイライラした。
自分が損している気分になった。
しっかり者だって
しっかりしたくてしているわけではない。
どうにかこうにかこなしていることもある。
それをポ~ンと適当に飛び越えられてしまうと
自分の気持ちに折り合いがつかなくなった。

我に返ると
「こんなトゲトゲしかったか私⁈」と
どんどん自分が嫌いになった。
やるも負担だし
やらないも自己嫌悪。
どうしていいのかわからなくなった。

「しっかり」をやめたらモテる⁈
あの時、雨戸を開けた父のように
私も意を決した。
間違えたとてなんとかなる!×定期的に休む!
後は野となれ山となれ!
と実行してみた。
自分にゆるくなった分
”これぐらいしょうがないっか”
と人に優しくなれる自分がいて不思議だった。
そして、変わった自分に
驚くほど世の中は変わらなかった。

マシュマロ女子は
先天的にこの感情を持ち合わせていたのか!!
そりゃモテる♡
それからとゆうもの
”しっかり” は
私の辞書から消えてしまった
(極端だな。わたし(;^_^A))
しっかり者は決して悪いことではない。
むしろ信頼できる素敵な人だ。
だから時には
無理せず誰かに甘えてしまってもいいんだよ。

”しっかりきっちり”
でなくなった現在の私だが
相変わらずモテない。
マシュマロのように
柔らかくてフワフワした女性には到底なれない。
し、なる努力ももうしない。
私が持ち合わせている「スルメ」として
噛めば噛むほど味がある。
そんな人間を目指そうと思う(笑)