最近、こんなことを思うようになりました。
“ムダって、実は人生で大切な時間なんじゃないか” と。
タイパ・コスパが重視される今、
「無駄を徹底的に省く」ことが正義のような空気があります。
私も半世紀近く、そう信じて生きてきました。
- 無駄遣いをしない
- 無駄な時間を送らない
- 最小限の力で、最大の成果を出す
“要領よく生きることこそ正義”
そう思っていたのです。
でも最近、その生き方がどこか窮屈に感じられてきました。
今日は、その理由を書いてみたいと思います。
「何してるの?」がプレッシャーになる世界
フルタイム勤務を勇退した知人に、何気なく聞いてみました。
「今、なにしてるの?」
彼女は少し困ったように笑って言いました。
「その質問が、プレッシャーなの」
“何もしない=悪”
そんな価値観がくっきりと染みついてしまって、
- 趣味があるわけでもない
- ひとり旅をするほどアクティブでもない
そんな自分に、どこか罪悪感がある様子でした。
私は冗談半分・本気半分で
「“何もしないを始めます!”って宣言しちゃえば?」
と言ったのですが、欲しい言葉はそれではなかったようです。
「効率化」「合理化」ばかりの世界は、息が詰まる
効率化や合理化はもちろん大事です。
でも、全部を最適化しようとすると、どこか息苦しくなります。
「やってみたい」と思っても、
- “いまさらいい歳して…”
- “時間の無駄じゃない?”
そんな言葉で、気持ちごと消えてしまう。
効率ばかり追いかけていたら、
いつの間にか、
“何が好きで、何が嫌いなのか”
自分のことすらよくわからなくなってしまう。
効率化の影で、見失いがちなこと
AIがどんどん進化し、
これからますます効率重視の世界になるのでしょう。
そんな中で、ふとよぎるのです。
「私は無駄な人生を送ってしまったんじゃないか」
受験の失敗。
転職の失敗。
婚活の失敗。
思い出したくない後悔が波のように押し寄せてくる。
でも、傾聴ボランティアとして大先輩たちと話すなかで、
私は大切なことに気づきました。
同じ話を、何度も、初めてのように語る時間。
効率とは無縁の、ゆっくりとした時間。
そのなかにこそ
- 人の本音
- 揺らぎ
- 弱さ
- 優しさ
が、まっすぐ存在している。
ムダは、人生のノイズではなく「余白」
タイパ・コスパが当たり前の時代だからこそ思います。
ムダの中でしか見えない景色がある。
ムダの中でしか育たない感情がある。
何もしない時間を持つことで、
私はようやく自分の本音に気づけました。
そして、ずっと“✖”だと思っていた過去が
少しずつ“〇”に変わっていく不思議な感覚があります。
効率だけでは、人は幸せになれない。
タイパ・コスパと同じくらい、ムダと思われる
揺らぎ・余白・とまどいといった“人間らしさ”も
大切にしていいのかもしれません。


