おばあちゃんと私
私は生粋のおばあちゃん子であった。
一緒に暮らしていなかったので
毎年夏になると
祖母に会いに行くのが私の楽しみであった。
残念ながら4年前に亡くなってしまった。
入院当時はコロナ禍でお見舞いができず
一目会うこともなく亡くなってしまった。
90過ぎまで存命していたので大往生であろうが
もっと祖母と話をしたり
ご飯を食べたりしたかった。
とにかくもう少し一緒にいたかった。

“おばあちゃん子”
をAIで検索してみたら
「年寄っ子は三文安い」
という慣用句があるようで
祖父母に甘やかされて育った子は
根気がなく、すぐ他人を頼る子になる。
という意味らしい(-_-;)
なるほど~
私の根性なしはここから来てるんだな!
点と線がつながる感覚!!

昭和初期、農村部、女性として生まれるということ
私の祖母は早くに母を生み
そして母も割と早い段階で子供を生んだので
祖母は42歳でおばあちゃんになった。
なので、人生の大半を
”おばあちゃん”として過ごした。

うちのばあちゃんは昭和一桁生まれ。
戦争を経験し激動の時代を生きてきた。
農村部の農家の嫁として
今で言えばJKの年代で嫁ぎ
寝ても覚めても農作業という
働きづめの人生であった。

祖母の姉も農家の嫁として嫁いだが
病に侵され嫁ぎ先から実家へ戻されたようだ。
何もそこの家が残酷なわけではなく
働き手とならない嫁は
実家に送り返される。
ということは当時、普通にあったようで
女性の身分の低さが想像できる。
そんな時代を生きてきた祖母に
「大丈夫だ」と言われると、
なんともホッとした気分になった。
その「大丈夫」が聞きたくて
祖母に会いに行っていたんだな~と思う…

おばあちゃん豪快・愉快エピソード
うちのばあちゃんというのは
面白いというか…
豪快というか…
とにかく想定外の人であった。
ちまちまと歯の治療をするのが面倒だったようで
健康な歯まで全部抜き
50前に総入れ歯に仕上げた様子…
ワイルドだぜ!!

ハンバーガーを食べたことがなく
勧めてみても「ひき肉はなぁ…」と食べない。
フィレオフィッシュはどうかと提案。
すると
「パンに魚を挟むなんて猫の食いもんだ!」
と言い返されたが、いざ実食!
「うっめなぁ~~」
その後、普通にハンバーガーも食べてたけどね…

20代のころ、ばあちゃんを訪ねると
「おいしい飲み物を見つけたから
一緒に行こう」と…
田舎道を車で30分以上走らせ
着いた先がジャスコ(現イオン)
想像してた感じと違うな~と思いつつも
ばあちゃんに着いていく。
自動販売機の前に到着。
小銭をチャリンと入れる祖母。
そして、その人差し指は
「CCレモン」のボタンを押した。
「うめでろぅ~~(^▽^)/」

このためにわざわざここまで来たのか?!
と思うとなんとも可笑しくなる。
免許を持っていない祖母は
そう簡単に来れない
ショッピングモールで飲んだジュースに感動!
今度遊びに来る孫に飲ませてやろう!
と思ったのかな…
と想像するとなんとも胸が熱くなった。

そばが食べたい。
というのでそば屋を探し到着。
祖母はなんとも浮かない表情…
「おばあちゃん、どうかした?」
「う~ん…おれが食いたいのは中華そばだ!」
中華そば…何万年前に聞いたフレーズ…
そこはラーメンって言ってくれよ!と思ったが
なぜかばあちゃんが言うと笑ってしまい
笑い声以外声が何も出てこない。

いまここにある幸福感
祖母が総入れ歯にした年頃と
今の私は同じ年ぐらい。
昨今の私といえば
あれやこれやと
アンチエイジングに必死に生きている。
世代や時代の差はあれど
祖母の生き方は潔い。

泣き言は言っていたのかもしれないけれど
時代のせいにしたり
人のせいなどせず
来る日も来る日も1束1束苗を植えていた。
農作業の影響で
腰は90度に曲がってしまった。
しかしその甲斐あって
晩年はお金持ちではないけれど
年に1度は旅行に行けるような
生活を送ることができた。

世間の価値観を
相手に押し付けるようなこともせず
祖母の時代には ”女性は結婚して子供を生む”
という当たり前であろう事を手にしていない私に
ひと言も触れることはなかった。
ただ、劣等感を抱いていた当時の私に
「早咲きの花もある、遅咲きの花もある。
いつか必ず花は咲く」
と言って、いつも私を勇気づけてくれた。

現代の日本人の幸福度は低い。
と言われている今日この頃。
今はあまりにも便利になりすぎて
幸せを感じづらいのかなぁ~
と感じるのは私だけだろうか…
子供の頃は戦争で
娘時代はあっという間に終わってしまい
ほぼ”おばあちゃん”として生きた祖母。
祖母のことを思い返してみると
いちごみるくを飲んだり
たい焼きやアイスを食べたりするだけで
幸せを感じているように見えた。

おばあちゃんっ子の現在
な~んて偉そう~に(;^_^A
鏡に向かってシミと格闘している私がいる。
いくつになったら私も祖母のように
「そったら気にしねぇ~」
と言える日が来るのだろうか??
まだまだ
年齢に逆らって生きていく気配しかしない…
これからどうするかなぁ…
と模索するも
「年寄っ子は三文安い」私は
まぁ~なんとかなるだろう~
と他人に頼る子代表として
今日もなお生きている。

最後に聞いてみたかった質問
「おばあちゃん幸せだった?」
そんなの聞かなくてもわかる
なんともチープな質問だったかな…