車が1か月使えなくなり、さらに電子レンジまで壊れました。
冬の不便な生活は、思いがけない気づきを連れてきました。
本記事では、車がない生活を実際に1か月送ってみて感じたことや、便利さに依存していた自分の暮らしについて、体験をもとに綴ります。
車がない生活が突然始まった
年末、車を修理に出すことになりました。
戻ってくるまで、およそ1か月。
冬真っただ中で移動手段がひとつ消え、正直かなり困りました。
まず思い浮かんだのが、食材の買い出し。
ネットスーパーは便利ですが割高で、物価上昇の今、頻繁に使うのは難しい。
それに、母は言います。
「やっぱり、見て買いたいのよね」
確かに、そういう感覚もわかる。
こうして、車なし生活が本格的に始まりました。
自転車での買い出しと、失われた便利さ
移動手段は自転車。
もう何年も乗っていませんでした。
寒い。
重い。
車があった頃は、ほとんど意識したことのなかった「移動」という行為が、こんなにも負担だったのかと実感しました。
この時期、改めて思いました。
車は、私たちの生活を驚くほど快適にしてくれていたのだと。
電子レンジが壊れて気づいた依存
追い打ちをかけるように、電子レンジまで故障。
「オラこんな村ヤダ~~♪」
思わず歌でも歌いたくなる状況です。
ネットで注文したものの、配送は数日後。
ところがその間、何度も無意識に
「温めよう」
「あっ、レンジがない…」
と繰り返していました。
それだけ電子レンジに依存した生活をしていたということ。
便利さは、なくなって初めて「依存」だったと気づきます。
そして、追い打ちのように届いた通知。
「出品者によりキャンセルされました」
正直、心が折れました。
便利さが戻ったときの小さな幸せ
結局、姉に頼んで車を出してもらい、電気屋へ。
無事に電子レンジを購入し、
「食べ物を温かくできる生活」が戻ったとき、心から幸せを感じました。
当たり前だったことが、こんなにもありがたい。
便利さは、失ってからその価値がわかるものなのだと実感しました。
不便な生活が教えてくれたこと
車はまだ戻らず、相変わらず自転車生活。
でも、不思議なことに、だんだん苦ではなくなってきました。
スーパーで
「今日はこれが安いな」
「新鮮でおいしそう」
そんなふうに、食材を見て選ぶ感覚が楽しくなってきたのです。
自転車で体を動かすことにも、なぜだか健全さを感じました。
生活ときちんと向き合っているような感覚。
「ちゃんと生きてるな」
そんな気持ちが、ふと湧いてきました。
絶対に必要だと思っていたものは、本当に必要?
この1か月を通して思ったこと。
電子レンジは、私にとって必要でした。
でも、車は「絶対になくてはならないもの」ではなかったのかもしれません。
不便な生活は確かにつらい。
けれど、不便だからこそ見えるものもありました。
便利さへの執着を、少し手放す。
それだけで、暮らしの見え方が変わることもある。
不便さは、生活の質を下げるものではなく、
自分の暮らしを見つめ直すきっかけだったのかもしれません。


