「普通」に戻されそうになるたび、心が重くなる

生き方

学校に通い始めてから、

ずっと忘れたと思っていたサラリーマン時代の感覚が、急に蘇ってきた。

体は元気なのに、

頭と心だけが、ずしっと重い。

学校そのものが問題なのではない。

もうすぐ終わるし、そこから解放されることもわかっている。

けれど、

「集団に属すること」

「決められた時間に拘束されること」

それらが、私の中にある嫌な記憶を容赦なく呼び起こした。

この感覚が、

これからまた「働く」という場面で繰り返されるのではないか。

それが、今いちばんの不安だ。


自分はHSS型HSEだったと知って

最近、自分がHSS型HSEだと知った。

刺激を求める一方で、とても繊細。

集団生活や人間関係の空気に、必要以上に疲れてしまう。

振り返ると、

学校も、職場も、

「頑張れば慣れるはず」と思いながら、

ずっと苦しかった。

特に私にとって大きかったのは

拘束される時間だった。

長時間、決められた場所に縛られることが、

気づかないうちに、深く心を削っていた。

それを「自分の情けなさ」だと思い、

長い間、自己否定してきた。


就活をしているのに、働きたいかわからない矛盾

特性がわかったからといって、

現実が急に楽になるわけではない。

今も就活はしている。

けれど、なかなか採用されない。

そのたびに自信が削られていく。

一方で、

「本当に働きたいのか?」と自分に問うと、

答えははっきりしない。

やっていることと、気持ちが噛み合っていない。

そのズレ自体が、私を疲れさせているのだと思う。


ふざけて生きたい、という本音

ある日、ふと思った。

私は、ふざけて生きていきたい。

平日の朝、ひとりでホテルに泊まり、

通勤している人たちを眺めていたとき、

「ふざけてるな〜、私」と思わず笑ってしまった。

もう、真面目に生きることに疲れた。

フルタイムで、

固定された時間を働き、

息が詰まる人間関係の中で一日の大半を過ごす。

そういう生き方を、

これ以上、自分に強いたくない。

親の介護も少しずつ始まり、

会社でも家でも息が詰まるような生活には、戻りたくない。


「普通」を手放したはずなのに、また苦しくなる

私はずっと、

「普通に働いていれば、普通の人生が手に入る」

と信じてきた。

結婚して、出産して、

安定した暮らしをする。

でも、45を過ぎても、

その「普通」は手に入らなかった。

それどころか、

働けば働くほど、毎日は辛くなっていった。

何のために我慢しているのか。

自分のためだと思いながら、

「自分のために、なぜこんなに苦しいのか」と疑問ばかりが残った。

だから私は、

普通の働き方を手放した。

あのとき感じた解放感は、本物だった。


見えない「普通」の圧力に、また引き戻される

それなのに、

学校に通い、就活を始めた途端、

また「普通」の苦しみが戻ってきた。

世の中には、

「普通」に戻そうとする見えない圧力がある。

正社員でない自分は、

どこか劣っているのではないか。

そんなふうに、

勝手に優劣をつけてしまう自分が顔を出す。

正社員になると壊れてしまう自分を、

私はもう知っている。

それでも、世間の軸を見てしまう。

相反する気持ちが、同時に存在している。

そのこと自体に、私はとても疲れている。


収入の不安と、それでも削りたくない心

正直に言えば、

いちばんの不安は収入源をどうするかだ。

これは綺麗事ではない。

ただ、

この文章で伝えたいのは、

「転職したほうがいい」とか

「会社は辞めないほうがいい」という結論ではない。

どちらを選んでも、悩みは消えない。

けれど、

身を削るような生き方を続けると、負のループに陥る

それだけは、身をもって知った。


ふざけて生きる、を掴めなくても

私はまだ、

「ふざけて生きる」方法を掴めていない。

それでも、

無理をして壊れてしまう生き方には戻りたくない。

迷いながら、

不安を抱えながら、

それでも自分の感覚を裏切らずに生きたい。

人生に正解はない。

だから私は、

これまでのように「ちゃんと」生きるだけでなく、

真面目にふざける余白を持って生きていきたい。

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