自己犠牲からの解放~「今度こそ、辞めない」と誓った私が、16歳の犬に教わったこと~

生き方

「転職が多いと不利」と言われた31歳の私

面接室を出た瞬間、私は心の中で小さく誓った。

「今度こそ、辞めない」

31歳。何度目かの転職だった。

なぜなら、面接官から言われた、

「転職が多いと不利ですよ」

という言葉が、胸にグサッと刺さったからだ。

まるで「ダメ人間」と烙印を押されたような気がして、帰り道、どうやって家まで帰ったのか覚えていない。

私の身内は、いわゆる「終身雇用」というものを貫いていた。

親戚や同世代を見渡してみても、ひとつの会社に長く勤めている人ばかり。

しかも当時は、「転職=ネガティブ」というイメージが今よりずっと強かった。

だから、転職を繰り返す自分を、私は「根性のない、弱い人間」だと思っていた。

「もう逃げない」という証に、犬を飼った

追い打ちをかけるように、友人たちは次々と結婚していった。

そんな中で、結婚していない自分は、「選ばれない人間」なのだと思うようになった。

誰からも必要とされていない。

そんな気持ちから、現実そのものから逃げ出したくなっていた。

だから私は、「もう逃げない」という自分への証として、犬を飼うことにした。

もちろん、犬には癒された。

結婚もせず、子どももいない私にとって、犬は大きな励みでもあった。

「せめて、この犬が天に召されるまでは、この会社を辞めない」

そう心に決めた。

我慢して、我慢して、会社にしがみつくように働いた。

今思えば、犬を理由にして、自分自身を縛っていたのかもしれない。

「親の心、犬知らず」な私たち

しかし――

「親の心、犬知らず」とは、まさにこのこと。

母にはあれだけ懐いているのに、私にはほとんど懐かない。

ときには牙をむくことさえあり、苦笑するしかなかった。

そうして、犬と私の関係は、かなり希薄なものになっていた。

あれから15年。

我慢を重ねてきた私の身体が、とうとう悲鳴を上げた。

「せめて、犬がいなくなるまでは……」

そう誓ったはずなのに、私は仕事を辞める決断をした。

情けなさは残った。

「結局、また逃げてしまった」

そんな思いもあった。

でも、当時の私には、それ以外にどうすることもできなかった。

仕事を辞めて、初めて犬と向き合った

仕事を辞めて時間ができると、私は初めて、犬と真正面から向き合うようになった。

まず始めたのは、これまで母親任せにしていた朝の散歩。

そして、朝ごはんを作ること。

ところが、始めてみると大変だった。

リードをつけるのも一苦労。

足を拭こうとすると牙をむき出しにしてくる。

あわや噛まれる、ということもあった。

とにかく私たちには、「信頼関係」というものが、まるでなかった。

私のことを信用していないのか。

それとも、15歳という高齢で身体が思うように動かず、苛立っていたのか。

それに加えて、お腹を下しがちで、体調もいまひとつだった。

必死に生きる姿が、愛おしくなった

それでも、毎日一緒にいると、不思議なことに見え方が変わっていった。

そんな状態でも、必死に生きている。

その姿が、なんともいじらしく、愛おしく見えてきた。

そして私は思った。

「犬だって、形にしなきゃわからないんじゃないか」

それから毎日、声をかけるようになった。

「今日も起きてくれてありがとう」

「エールがいてくれて、うれしいよ」

何度も、何度も伝えた。

すると少しずつ、エールも私を「敵ではない」と認識してくれたようだった。

そこから、私たちの関係はめきめきと変わっていった。

リードも難なくつけられるようになった。

体を拭くことだって、今では容易にできる。

これまでトリマーさん任せだったシャンプーも、私ができるようになった。

そして、何より驚いたのは、16歳になった今のほうが、お腹の調子がずっとうんと良いことだ。

「あなたのために頑張っている」は、呪文だった

誰かのために働くことは尊い。

それは決して間違いではない。

でも、あの頃の私は、

「あなたのために、私はこんなに頑張っている」

と、自分に言い聞かせていた。

今思えば、それは自己暗示のような呪文だったのかもしれない。

「この子のために辞めてはいけない」

そう思うことで、自分の苦しさを無理やり押し込めていた。

自己犠牲で相手との関係が崩れてしまっては、その生き方はあまりにも窮屈だ。

誰かを大切にすることと、自分を犠牲にすることは、同じではない。

エールとの時間を通して、私はそんなことに少しずつ気づいていった。

ポンコツになった私も、まだ走り出せる

あの頃と比べると、世間様から見た今の私は、かなりの「ポンコツな仕上がり」だと思う。

何度も転職して、会社を辞めて。

「逃げない」と誓ったのに、結局、逃げたように見えるかもしれない。

それでもいい。

遅くたって、まだ走り出せる。

以前の私は、「一度決めたことを最後までやり抜くこと」に価値があると思っていた。

でも今は、途中で立ち止まって、自分に合わない道から方向を変えることも、ひとつの生き方なのだと思う。

16歳のエールと、おもしろおかしく生きていこう

そんな私ではあるけれど、出かけるとき、ときどきエールは玄関まで見送りに来てくれるようになった。

こんなこと、かつてあっただろうか。

その表情が、ちょっぴり寂しそうで、なんとも愛おしい。

……まあ、私の勝手な妄想かもしれないけれど。

それでも私は、そう思っていたい。

「エールよ、長生きしておくれ。

そして、ポンコツな私と、おもしろおかしく生きていこう」

今度は、そんな誓いなら、きっと悪くない。

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