自己否定と比較癖で苦しい自分

生き方

「自己否定」と「比較癖」は、今も消えていません。

先日、とても素敵な人に出会いました。
頭脳明晰で、品のある佇まい。
思わず「素敵だな」と見惚れてしまうような人でした。

でも、その瞬間に私の中では、いつもの思考が自動的に始まります。

「私は何も持っていない。」
「学歴も職歴も誇れるものがない。」
「やっぱり私は人並みになれなかった。」

長年染みついた「自己否定」と「比較癖」です。

「努力が足りなかったのだろうか」

決して何もしなかったわけではありません。

その時その時で、自分なりに努力してきました。

それでも思うような結果は出ず、
「努力が足りなかったのか。」
「根性がなかったのか。」
そんなふうに自分を責め続けてきました。

気づけば、「私は失敗ばかりの人生だ」と思い込んでいたのです。

傷つけ続けていたのは誰だったのか

もちろん、誰かの心ない一言に傷ついたこともあります。

でも、その言葉を何度も思い返し、
何年も傷つき続けていたのは私自身でした。

私は、自分の価値を他人の評価に委ねていたのです。

「誰かに認めてもらいたい。」
「誰かに慰めてもらいたい。」

外にばかり求めて、自分自身を励ましたことがありませんでした。

自分が一番の味方になるという発想すらなかったのです。

過去の選択は、自分を守るためだった

最近になって、少しだけ考え方が変わってきました。

過去に諦めたことも、
逃げたと思っていた選択も、
あの頃の自分を守るために必要だったのかもしれない。

そう思えるようになったのです。

その選択があったからこそ、今は元気に暮らせています。

自分に合わない働き方を手放したことで、
後期高齢者になった両親とも、以前より穏やかな時間を過ごせるようになりました。

あの頃の私が必死に守ってくれた人生が、今につながっています。

誰かが輝いていても、私の価値は減らない

以前の私は、人と比べるたびに自分の価値まで失っていました。

でも、本当は違いました。

誰かがどれだけ優秀でも、
どれだけ幸せそうでも、

私の価値や幸せがそこから引かれるわけではありません。

相手が輝いていることと、
私の価値や幸せはまったく別の話だったのです。

「癒し思考」が生まれるようになった

今でも自己否定や比較は、自動的に顔を出します。

でも最近は、そのあとにもう一つの思考が生まれるようになりました。

「大丈夫。」
「あの頃の私は、あれで精一杯だった。」
「よくここまで生きてきたね。」

そんなふうに、自分を少しだけ癒せるようになったのです。

思考は長年の癖だから、すぐには変わりません。

だから私は、無理にポジティブになろうとは思いません。

無理な前向きさは、私には苦しかったから。

その代わりに、自分を責める声が聞こえたら、自分をいたわる声も届けてあげたい。

その「癒し思考」が、少しずつ私を救ってくれています。

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